誰そ彼のことば:1


ワガママなのは分かっている。でも自粛中、皆がひきこもり状態だったから、何もしていない自分に罪悪感を覚えずに済んだ(友人・30歳)

【新しい日常】

 緊急事態宣言の解除を前に、生きづらさを抱える友人がふと呟いた一言。誰もがひきこもっていた「停滞」期間は、私にしばしの安堵をもたらすものであったという本音です。この言葉に、「経済が止まり、皆がしんどい思いをしていたのに何を言ってるんだ」「一日も早く日常を取り戻そうとしているのに、足を引っ張るようなことを言うな」と憤る方もいるかもしれません。

 でも、どうなんでしょう。世界中が停滞したこの間だからこそ、これまで当たり前だったと思っていたことが、実はそうではなかった、という声も少なくありません。

地球規模で経済活動が止まったことで、大きな変化があったのは自然環境でした。大気汚染が改善され、インドでは数十年ぶりに二百㌔離れた地からヒマラヤ山脈が望めるようになったそうです。その感動的な光景は、自然界においては、その地からヒマラヤが見えるのが「当たり前」だったことに、多くの人が気付かされました。

 身近なところでは、否応もなくテレワークが推進されたことで、これまでの満員列車に揺られての出勤、都市部に集中した働き方などへの見直しの声が上がっています。企業に勤める友人は「テレワークで、いかに無駄な会議や出張があったか気づかされた。もう以前には戻れない」とぼやき、社交的に見えた女友達はSNSに「ステイホームのおかげで、自分は家で読書していることが一番、落ち着く人間だったことを思い出した」とぼそぼそと書き込んでいました。従来の社会の枠組みや、世間が求める「当たり前」に合わせていた自分に気付いたともいえます。

 そしてまた、コロナ禍は社会の脆弱さも顕わにしました。六月二日、厚生労働省が発表した統計によれば、新型コロナの影響で解雇や雇い止めになった人は五月二十九日時点で一万六千七百二十三人。約半数が非正規雇用でした(6月2日付『朝日新聞』)。この数字は、危機にあった時、弱い立場にある人が守られるべき社会でなかったという証左でしょう。「これが当たり前」と思って私たちが暮らしてきた社会は、安心できないものでした。

 そうしてみると、冒頭の伝道板の言葉への受け止めが変わって来るように感じます。むしろコロナという非日常を体験したことが、これまでの「日常」の生きづらさに気づくきっかけになったのではないでしょうか。私たちは誰の「当たり前」を生きてきたのでしょう。

 お釈迦様は「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)…自らを灯明とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、真理〈法〉をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と説きました。

 今また「新しい生活様式」「新しい日常」という誰かの求めに基づく大号令が発せられています。感染対策はともかくとして、私や私を支えるすべてのものが、本当に生き生きと生きるためにはどうすればいいのか。コロナ禍で生じた「日常」への懐疑を大切にしながら、新たな一歩を踏み出していきたいものです。

合 掌

厳念寺

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