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厳念寺の歴史

 

  厳念寺は建長5(1253)年、武州足立郡槙村に真言宗の「証誠山 成就院 護念寺」として創建されました。開基は遊琳法印という僧侶でしたが、覚如上人の影響を受けて「覚了」という法名をいただき、浄土真宗に改宗しました。
 戦乱の中でお寺は移動を重ね、やがて江戸時代初期になってから中興の僧侶釋宗心によって江戸鳥越村に移り「厳念寺」となりました。
 その後、大火などで場所を変えながら文化13(1817)年11月18日浅草新堀端に「證誠山 成就院 厳念寺」としてお寺を構え、現在に至ります。

 

 東京の下町は江戸の昔より火事が多かったことが知られています。近くは第二次世界大戦や関東大震災による火災に遭って、ほとんど灰燼に帰したことは、お寺とて例外ではありません。したがってお寺の歴史に関しても漠然とした言い伝え程度の事しか分かっておりませんでした。 

  ところが『御府内備考』という江戸時代の資料が近年出てまいりました。これは今からおよそ200年前、江戸時代後期の文政12(1827)年に江戸幕府がまとめた調査書です。

 それによりますと、厳念寺の起源は武州足立郡槇村にあった真言宗の「証誠山 成就院 護念寺(1253年の創建)」というお寺でした。途中で覚如上人(浄土真宗本願寺第三世)の影響を受けて浄土真宗に改宗しています。その後、戦乱が続く中で転々とした末に、江戸に移ってから「厳念寺」という名前に変わり、現在の地(浅草新堀端)に落ち着いたのは文化13(1817)年のことでした。

 東京にあるお寺は、江戸幕府が開かれて以降に誕生している場合がほとんである中で、厳念寺のルーツは江戸時代以前から続いてきた数少ないローカルなお寺であったことがうかがわれます。つまり鎌倉時代の後期、浄土真宗の開祖親鸞聖人が関東で活躍した時期に直接感化を受けた浄土真宗初期の教団の流れをくんでいるのではないかと推察されるのです。

 そして『改撰江戸志』にあるように、お寺としての規模は大きくないものの、江戸方面では浄土真宗の草分け的な由緒のあるお寺(念仏道場)であったことが本山に認められて、現在の地にお寺を建てることが許されたと記されていることは興味深いところです。

 こうした歴史を垣間見るにつけ、いく星霜にもわたって厳念寺を支えてくださった皆様のご先祖の願いとご苦労が偲ばれます。

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