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​報恩講

 

報恩講のいわれ

 「報恩」とは、その字の通り「ご恩にむくいる」という意味です。また「講」は「集い」とか「会」にあてはまります。
 私たちの宗派・浄土真宗の開祖の親鸞聖人は、今から約750年前、1262年の11月28日(旧暦)にその生涯を閉じられました。
 その命日に信者(門徒)の人たちが集まって、親鸞聖人が残してくださった念仏の教えをあらためて聞き直してゆく集いとして営まれたのが「報恩講」の起源であり、その主旨です。
 その教えによって、どんな人でも生き尽くしてい

ける大切な意味や、いのちを授かった尊さに気づいていく道筋が開かれてくることから、そこに感謝する心が形となって「報恩講」という仏事が受け継がれて来たのです。
 そこでは「もし、この教えにめぐり会うことがなかったら、自身のかけがえのない意味に気づくこともなく、私はどんなあさましい生き方をして過ごしてしまったか分かりません」というようなことを語り合いながら、お互いに親鸞聖人が明らかにしてくださった教えを学び、喜び、分かち合い、新しい気づきを通して更に深く自身の生き方を受け取り直してゆこうとする伝統がありました。教養として知る仏教ではなく、生活実感として体得してゆく仏教の場であったと言えるのではないでしょうか。
 つまり、親鸞聖人から手渡された「仏様の智慧と愛情からできている贈り物」を開いていく集いが報恩講です。私たちのご先祖は、そのプレゼントを開くために報恩講を今日まで伝えて来てくださったのでしょう。


 ○厳念寺では「報恩講」を例年10月末か11月初め頃に日を選んで勤めております。
 報恩講の法要と共に講演会があり、その後に報恩講のための伝統的な食事を頂きます。
 どなたでも参加できますので、どうぞいらしてください。

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