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お彼岸
「お彼岸」は、私たち日本人にとって、ごく自然な習慣になっているので「お彼岸て、どういう行事なの?」と改めて聞かれると、むしろ困ってしまいます。たぶん「お墓参り週間だろう」というくらいに思っているのではないでしょうか。形の上だけから見たら、それでも間違いではないかも知れません。
その始まりは定かではないのですが、一説には聖徳太子の時代とも言われ、既に1200年以上も続いているようです。
「彼 岸」の意味
ところで、そもそも「彼岸」という言葉はどうい
う意味なのでしょうか。日本語読みにしますと「彼の岸」、つまり向こう側の岸辺ということです。「向こう側」ということは、川か海をはさんで「こちら側(此岸)」があることを前提としています。それでは「こちら側(此岸)」というのはいったい何でしょうか?
それは私たち自身の日常の生活、あるいは普通に感覚されている世界のことをイメージ的にたとえて表しているのです。仏教の眼(向こう側の岸=彼岸)から見ると、私たちの当たり前と思っている世界、あるいは生き方(こちら側の岸)は、どうも無理があったり、ゆがんでいたり、さかさまであったり、窮屈であったり、方向ちがいであったりしています。
お釈迦様が悟りを開いて気がついてみたら、それまでの自分も含めた私たちの在り方(こちら側の岸)が、随分おかしいことに驚いたというわけです。
「あぁ、本当にそうだったなぁ」という深い気づき・目覚め・うなずきが起きると、それまでの自分とは「見え方」・「受け取り方」が自然と変わってきます。つまり「彼岸(向こう側の岸)」からの視点(智慧の眼)をいただけたことによって、どれだけ自分のあり方(こちら側の岸=それまで当たり前だと思っていた受け取り方)に、どんな問題があったことかが知らされ、そして生き方が変わっていくわけです。
仏教の御利益とか救いは「転識得智」という言葉で代表されるように、それまで見えていなかったこと、忘れてしまっていた大切なことに気がついて、新たに自分らしく生きることが始まっていくようになることなのです。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるような春と秋のちょうど気候の良い時期(春/秋分の日を挟んで一週間)を選んで、心身共に日頃の生活から一時でも離れて、彼岸という世界に心の耳をかたむけながら、自分自身を見つめ直す大事な節目にしようとした昔の日本人の知恵が「お彼岸」という行事を生み出したのではないかと思われます。
お墓参り・お寺参りをしながら、自分の大切に思っている故人が、あるいは仏さんが「向こう側の世界=彼岸」からご覧になったら、自分の今のあり様(こちら側の世界=此岸)が、どのように見えているかなと、思いをいたしてみてはいかがでしょうか。
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