二月より毎月第二木曜日の夕方六時半から、記念講座(十回連続)として「仏教入門講座」が始まりました。御陰様で予想をはるかに超えた皆様に参加していただき、老若男女がおよそ四十人ほど集い、にぎやかでリラックスした楽しい学習会となっております。 講師としてお迎えしたのは武蔵野大学教授のケネス・タナカ先生(仏教心理学会会長)です。ケネス先生は日系二世のアメリカ人です。講義は、以前にアメリカ人の仏教初心者向けに話した対話形式の講座をまとめた『真宗入門(法蔵館)』を時々読みながら進められています。 仏教徒がほとんどいないアメリカで仏教を伝えることに長年苦労されているので、その内容は日本のお坊さんの話と比べるとかなり斬新でユーニークです。「そうか、なるほど。こんなふうに話せば、ずっと分かりやすかったんだ!」と、毎回聴くたびに感心させられます。また、先生ご自身から提案された「仏教・真宗を楽しく学びながら生活に活かす講座」という題の通り、単に入門というだけでなく、私たちの生活感覚に近づけた、時にはアメリカン・スタイルのジョークや駄洒落を交えながらのお話しです。 今回は、その一端を垣間見るために「一切皆苦」についての部分を紹介してみたいと思います。
一切皆苦 ケネス先生は、まず仏教の基本的な考え方を皆さんに理解してもらえるように「四法印」という仏教特有の見方から始めています。
①一切皆苦 ②諸行無常 ③諸法無我 ④涅槃寂静という四つです。
仏教にいくらか興味を持ったことのある人ならば「諸行無常」とか「涅槃」とか「無我」という言葉くらい聞いたことがあるかも知れません。しかし、どれをとっても、たとえ辞書で調べてみても分かるようで分からない。特に「一切皆苦」という言葉をそのまま直訳すれば「生きるということすべてが苦しみである」というような意味になりますから、なかなか受け入れがたい言葉です。 仏教はインド生まれで、しばらくしてから文化の違う中国に輸入されます。漢字に翻訳される中で、本来の意味とは多少ズレができてしまうことがあるのは仕方がありません。「一切皆苦」もその一つだと私は考えています。「苦」の元のインドの言葉は「ドゥッカ」といいます。「思い通りにならない」という意味だそうです。つまり元の意味に返せば「物事は思い通りにはなりませんよ/私たちの思いや認識と事実とはいつもズレがある」ということです。それで「思い通りにならない」から「苦しい」という意味に転じているのでしょう。要するに「一切皆苦」では少し説明不足で誤解をまねくような翻訳だと私は思っています。 ケネス先生の場合、「一切皆苦」について独特の翻訳(意訳)をしています。
一切皆苦―Life is a Bumpty road.― 人生は凸凹道
欧米の人たちは、東洋の宗教を代表する仏教の基本的な見方の一つである「一切皆苦」を知って、仏教について、ずいぶん悲観的で、生きることを否定したような印象を持っている人が少なくないそうです。「ドゥッカ」を「苦しみ」とか「災難」というように翻訳されているから仕方ありません。そんな消極的人生観ならば、誰も関心や魅力をよせるはずもないでしょう。そういう誤解をあきらかにするために、ケネス先生は「人生は凸凹道(Bumpty road)だ」と、挑戦的な表現を試みているのです。これならばアメリカ人も納得するでしょう。そして、仏教の教え自体を実はほとんど知らないに等しい私たち日本人にとっても事情は似ています。 「四法印」の中の他の三つについても、同様に思い切った翻訳をケネス先生はしています。
諸行無常―Life is Impermanent.― 人生は無常 諸法無我―Life is Interdependent.― 人生は縁起 涅槃寂静― Life is Fundamentally Good.― 人生は基本的によいものである 私たち日本人は漢字に慣れ親しんでいますので、漢字を見れば何となく分かったような気がしてしまいます。ところが必ずしもそうではありません。「諸行無常」にしても「諸法無我」にしても「涅槃寂静」にしても・・、実際にどういうことを仏教が私たちに教えようとしているのかとなるとなかなか分かりません。 ケネス先生は、講義の中で次のように述べています。
仏教は、真実・ありのままのことを説いているのです。例えば、全ては移り変わり(諸行無常)、それも思ったより変化は早く起こり(無常迅速)、ものごとは縁起でおこる(諸法無我)ので、自分の力ではどうしようもない事が多々あるという真実です。しかし、我々はこのような真実をよく理解していないので、「思い通りにならないことを思い通りになるべきだ」と思い込み、苦しむのだと仏教は説いています。 〈 略 〉 人生は凸凹道です。ですから基本的に人生は思い通りにはいかないのです。だからこそ宗教があるのです。思い通りに行って、物事に問題がないと思う人には、たぶん仏教にあまり興味を持たないかも知れません。けれども、二十年くらい生きていれば、私の大学の生徒たちも「人生は思い通りには行かない」ということは分かっています。 そこでどうするのかというと、この縦の軸(図参照)がある。
これは宗教の思想とか哲学などの考え方をしっかりと持つということを表しています。この縦の軸がしっかりすればするほど、この浮き沈みのある横の軸の生活に対応できて、目覚めていけば「人生は根本的にすばらしいもの(涅槃寂静)」だと分かってくるのです。そのためには、やはりしっかりした縦の軸を持たないといけないのです。多くの人は縦の軸がないから弱いのです。だから、この横の軸に振り回されてしまう。
いかがでしたでしょうか? 今後の講義でも、日本人にはなかったような発想や切り口で仏教の言葉をダイナミックに読み解いてくださるはずです。