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愚痴短冊 283枚を分析しました!

愚痴供養祭2025に寄せられた愚痴短冊 283枚を、生成AIを使って分析してみました。

愚痴を通して、現代社会が抱える課題が浮き彫りになっているんじゃないかと思います。

愚痴短冊から見えた、2025年という一年(概要)

2025年に集まった「愚痴短冊」を読み解いていくと、「しんどさ」があらゆる領域で重なり合いながらも、その奥には確かに「願い」と「優しさ」が残っている姿が浮かび上がってきました。



❶仕事とお金、「楽にならない」暮らし

もっとも目立ったのは、仕事と生活基盤に関する不安と疲労です。人手不足や長時間労働、無茶な勤務体制、ノルマやCS至上主義…。働く人たちは「いつまでこの状態で頑張れと言うのか」と悲鳴を上げています。それに見合う賃金が得られない、シフトが減る、突然クビになる――そんな現実が、「働いても楽にならない」という感覚を強めています。

さらに物価高・円安・重い税負担が追い打ちをかけ、外食ランチやアイス、チョコ、コーヒー、旅行といった「ささやかな楽しみ」まで削られていく。2025年の暮らしは、数字としてのインフレ以上に、「楽しみがじわじわ奪われる年」でもありました。


❷家族・パートナー・職場…関係性の中で削られる心

親の立場からは、自立しない・連絡をくれない子どもへの終わりの見えない心配。

夫婦の間では、モラハラやDV、感謝のなさ、不公平な役割分担に対する怒りや諦め。

きょうだい・祖父母・親戚との確執や介護の負担も重くのしかかります。

家族の外側に目を向ければ、職場や学校、公共の場での人間関係がまた別のストレス源になっています。

いじめや無視、理不尽な叱責、列抜かしやマナーの悪さ…。共通しているのは、「敬意が払われていない」「公平に扱われていない」という感覚です。恋人ができないことへの寂しさや劣等感も含め、人とのつながりは支えであると同時に、深い孤独や自己否定のきっかけにもなっていました。


❸「生きづらさ」と向き合う自分自身

こうした外側のしんどさは、そのまま一人ひとりの内側に沈殿しています。

自信のなさ、自己嫌悪、感情をコントロールできない自分へのがっかり感、「生きるのがつらい」「毎日が楽しくない」という声。老い、病気、パニック発作、更年期、がん治療…。心身ともに「余白のなさ」が際立つ一年でした。

それでも多くの短冊には、「本当は小さなことを喜んで生きたい」「愚痴ばかりの自分を変えたい」「努力を楽しめるようになりたい」といった、一歩引いた自己理解と、変わろうとするまなざしが記されています。

愚痴を通じて、自分の状態を言葉にし、なんとか折り合いをつけようとする姿が見て取れました。


❹社会への不信と、それでも手放さない希望

政治や行政、税制、戦争や環境問題、ルッキズムやハラスメント…。

「この社会は本当に私たちの幸せを願っているのか」という不信や怒りも、2025年の大きなトーンです。一方で、「戦争がなくなってほしい」「公平な世の中に」「努力が報われる社会に」「尊重しあって仲良くやろう」といった、社会そのものへの願いも強く表明されています。

つまり、愚痴短冊に綴られたのは、単なる不満ではなく、「こうあってほしい」という未来像と、「今のままではつらい」という現状認識のセットでした。

まとめ:しんどさの中で、それでも求めているもの

愚痴短冊から見える2025年は、仕事・お金・人間関係・健康・社会システムという複数のレイヤーで「しんどさ」が重なり、不安と疲労と怒りがベーストーンになっている一年でした。

それでも人びとは、家族やペットへの愛情、愚痴を言える場への感謝、ささやかな楽しみへの欲求、そして「公平さ」と「尊重」と「平和」への強い願いを手放してはいません。

2025年に寄せられた愚痴短冊には、生活者が抱える痛みと、それでもなお前を向こうとする小さな希望が描かれていたように思います。

【愚痴供養祭スタッフ ORIZURU代表 小林正昭】


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