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【誰そ彼のことばno.6】「『向かうところ敵なし』とは敵を持たないことです」【仏教コラム】



「向かうところ敵なし」とは敵を持たないこと

                             僧侶・天野こうゆう


 「向かうところ敵なし」――。非常に強くて、どんな相手にも負けないことの意味で使われる言葉です。「今のあのチームなら、向かうところ敵なしだね」。こんな感じでしょうか。

 自信満々なありさまを自負する時にも使いそうですね。

 岡山県倉敷市にある真言宗寺院の天野こうゆう住職は、檀家さんからよく、

和尚さんに怖いものはないのですか?」と聞かれるそうです。

 それに対して天野住職は次のように考えるといいます。

《私は「怖い」と思い込むと萎縮してしまうので、あまり考えないようにしています。怖いものだけでなく、敵も最初からいないと思うようにしています。そのときに役立つのが「向かうところ敵なし」という言葉です。向かうところ敵なし……一見、「自分は最強だ」と宣言しているように聞こえます。しかし「敵を持たない」と解釈すれば、一気に平和的な言葉に変身します》(『月刊住職』2023年4月号)

「向かうところ敵なし」という言葉をよくよく考えてみると、その前提として「力を持っている」ことになります。しかし、力は常に相対化されるものです。今、この瞬間は誰にも負けないと思うかもしれませんが、時勢が変われば負けることもある。究極が「四面楚歌」でしょう。周りすべてが敵となる孤立無援の状態です。

 八十六年前、日本は今のロシアのように傲慢にも他国に侵略し、やがて太平洋戦争を引き起こしていきます。しかし物資もエネルギーも大国のそれを遥かに下回っていたことから、たちまち劣勢に陥り、ついには中立条約を結んでいたソ連からも裏切られ、四面楚歌状態に陥ります。子どもから大人まで三百十万人以上の命の犠牲、歴史文化の焼失という多大なる代償を払って敗戦を迎えました。

 一九五一年に開かれたサンフランシスコ講和会議では戦勝国である連合軍から日本分割統治、主権の制限などの過酷な賠償請求が出されます。けれどもここに、一人の人物が登場します。仏教国のセイロン(今のスリランカ)から来たジャヤワルダナ氏(後の大統領)です。会議の冒頭、演説に立ったジャヤワルダナ氏はお釈迦様の次の言葉を引用します。

「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」(『法句経』)

 そして、セイロンは賠償の請求を放棄するとしました。怨みを残し、再び敵を作るのをやめましょうと呼びかけたのです。この演説が会議の流れを決め、日本は分割統治や賠償金の支払いを免れたそうです。

 それから七十二年後の今、日本政府は再び「力に恃み」「敵を作る」ことに躍起になり、軍事費に莫大な税金を投じ、戦争のできる国に舵を切ろうとしています。

さて私たちはどちらを選んで生きるでしょうか。力だのみの「向かうところ敵なし」か、それともジャヤワルダナ氏がお釈迦様の言葉を実行したように敵を作らない、持たない「向かうところ敵なし」でしょうか。お寺は常に後者でありたいと思います。 合掌

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