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【誰そ彼のことばno.7】「私は、透明化されている人たちを描き続けたい」【仏教コラム】




私は、透明化されている人たちを描き続けたい

                     NHK朝ドラ『虎に翼』脚本家 吉田恵里香


 異例の話題作、NHK連続テレビ小説『虎に翼』を楽しみにご覧になっている方は多いでしょう。かくいう私(厳念寺の若坊守)も毎朝、胸を揺さぶられながら観ている一人です。

 同ドラマは日本の女性初の弁護士、裁判官、家庭裁判所長となった三淵嘉子さん(一九一四―八四)をモデルにしたもので、伊藤紗莉さん演じる主人公の「寅子」が社会に横たわる様々な不合理に「はて?」と疑問符を投げかけながら奮闘する姿を描いてきました。

 このドラマがこれまでの朝ドラと一線を画すのは、いわゆる「女一代記」ではなく、主人公の人生を軸に据えながらも登場人物一人ひとりに焦点をあてる群像劇という手法で社会(あるいは社会を構成する意識)を憲法や法律と連動させながら描いているところではないかと私は思います。

 たとえば寅子の学友、花岡君は一見女性に優しいふるまいをしながらも実は男尊女卑の価値観を持っており、それを親友の轟君から「俺はあの人たち(寅子ら女子学生たち)は漢だと思った」と人間の尊さは性差ではないと指摘され、反省します。学友の梅子さんの苦悩を通して家父長制の意識に支配される家族と「嫁」「母」の無償労働への鈍感さを描いた回もあれば、道男ら戦災孤児をクローズアップすることで戦争が子どもたちのその後の人生にいかに苦難を与えたかを描く回、あるいは朝鮮半島出身の学友の崔香淑(ヒャンちゃん)を通じ日本人の差別意識を、さらには義姉の花江ちゃんの存在を通じて専業主婦を取り巻く意識なども浮き彫りにしてきました。

 いずれの登場人物の立場と心を緻密に丁寧に描くことで、「私も(俺も)そうだった」「あの時の感情を思い出す」と共感の声が視聴者から上がっているようです。

 その脚本家の吉田恵里香さんが、ある回での人物の描き方に対してSNSで綴られたのが

「私は、透明化されている人たちを描き続けたい」(6月10日「X」投稿)でした。そうだったのか、なるほどなと感じました。「透明化されている人たち」とは、社会のなかで見えづらくさせられている存在(声)でしょう。では誰が見えづらくしているのか。それは政治家であり、社会を構成する私たちでもあります。「自分の得票にはつながらない」「自分とは関係ない」という自分さえよければの姿勢が確かにいるその人の存在と声を奪うのです。

思い出されたのが『仏説阿弥陀経』というお経の「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という一文です。阿弥陀様のいる浄土に咲く蓮の花の様子を語ったもので、「青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」と説くその心は、心穏やかな世界とは、私たち一人ひとりが本来もつ姿があるがままに存するということです。権力者の価値観や社会の情勢でいのちや存在が押しつぶされる世界は地獄です。

大乗仏教では、誰もが幸せに生きるために一人ひとりが菩薩となって動こうと説きます。これは憲法第十二条《この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない》の精神に通じるのではないでしょうか。脚本家の吉田さんの言葉はその精神を「私は私の仕事で実現する」と力強く宣言されたように感じました。合掌

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