誰そ彼のことば:2


水仙まんじゅうの季節になると パンプキン爆弾を思い出すのです

                    福井県出身・Nさん(70代)

【八月に想う】

  水仙まんじゅう(地域によっては、葛まんじゅう、水まんじゅうとも)は、半透明の葛にこし餡が包まれた夏の涼菓。口にふくむと、ひんやりなめらかな葛と、ほんのりした甘さの餡が広がります。福井県敦賀市では昔は夏になると各店の店先に流水で冷やされた水仙まんじゅうが売られていたそうです。

 しかし、敦賀出身のNさんにとって、水仙まんじゅうはその懐かしい故郷の夏を呼び起こすと共に、痛ましい戦争の歴史を思い出させるお菓子だといいます。


 1945年8月8日、アメリカ軍は一個の巨大な爆弾「パンプキン爆弾」を東洋紡績敦賀工場(現・東洋紡敦賀事業所)に投下しました。パンプキン爆弾という、耳慣れないこの爆弾は、実は原爆投下の訓練用の「模擬原爆」で太平洋戦争末期、日本国内49カ所に投下されたものの一つでした。翌9日、長崎に投下された原爆とほぼ同形で、敦賀に落とされたそれには通常の火薬が詰められており、工場は一瞬で地獄絵図となり、33名が亡くなりました。

 1948年生まれのNさんは、この史実を中学時代、級友の父親から聞いたといいます。

「東洋紡の守衛だった級友の父親は、爆撃を目の当たりにしたそうです。語り部となってその凄まじい惨状を懸命に中学生の私たちに伝えてくれました。水仙まんじゅうが町に見られる夏になると、その歴史をふと思い出すのです」と私に語ってくれました。

 この話で思い出したのがアニメ『火垂るの墓』のカルピスのシーン。戦争孤児となった主人公の清太が、まだ戦争が激しくなる前に家族で行った海水浴を回想する場面で、母親の「カルピスも冷えてるよ」と優しく呼びかける声が平穏な日々の象徴のようでした。

 水仙まんじゅうもカルピスも穏やかな夏の風物詩。平和な日常の延長線上に起きたのが戦争だったとNさんの話もアニメも教えてくれるように感じます。ならば、私たちの状態は今、どちらに振れているでしょうか。「平和」でしょうか。それとも「戦争」でしょうか。


 毎夏の戦争特集報道で、あの嫌な愚かな戦争を支えたのは、決して政府や軍ばかりでなく、町や村でお互いに監視し合いながら国に加担した市井の人の心だということを私たちは反省と共に学んできたはずでした。しかし、今またコロナ禍の不安から、誰かを「敵」に見立てたり、「自粛警察」などにみられる過剰な同調圧力で、隣人すら排除するような、他者の尊厳を省みない息苦しい空気が生まれているように思います。

 親鸞聖人は「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(『歎異抄』)と言いました。縁次第(情況次第)で人間はいかようにも行動してしまう存在なのだと自覚しよう、という意味合いです。

 二度と過ちを繰り返さないと反省したはずが、情況次第で「いかなるふるまい」もしてしまう私たちであったと改めて突きつけられているのが現在ではないでしょうか。そうであるなら、再び戦争の道に進むこともたやすい話です。その業縁が未来に整うことのないよう、不安を見つめながら、今どう生きるか。戦後七十五年目の今夏、歴史がいっそう私たちに問いかけているように感じます。 合 掌



【『誰(た)そ彼(かれ)のことば』とは?】

 日々の生活の中で出遇う誰かのことばを通し、仏教的な視点を交えつつ深め、味わっていこうという新コラムコーナーです。

「誰そ彼」には元々「あなたは誰ですか?」という意味があるといいます。また、その言葉が転じて「黄昏(たそがれ)」という言葉になったと言われています。黄昏時は、「この世」と「あの世」が交わる時であるとも言われますが、仏教において「あの世」は「気づきの世界(彼岸)」という意味を持ちます。彼岸をたずね、此岸(しがん)「自分の世界、生活」の有り様に気付き、試行錯誤しながら歩むことが仏教の実践とも言えます。これから多くの方々との「ことば」と出遇うことを通し、日々の生活の糧としていけるよう、皆さんとご一緒に耳を傾けて参りたいと思います。

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